10/03/2012

第35回 こどもの城 山下設計



35回 こどもの城



 城と言うイメージはない外観のデザインですが「こどもの城」です。中堅どころの組織事務所「山下設計」が手がけた総合児童センターで、1985年に竣工してますから既に築27年ですね。私、モコモコ博士の子供たちも母親に連れられて何度となく利用させて頂いた施設です。もう十数年前の話ですけどね。表参道の交差点から渋谷方面に歩いて、国連大学ビルのお隣、ほぼ青学の正面に建ってます。残念ながら2015年には閉館の予定があるみたいです。

 一見して岡本太郎と判る彫刻が正面玄関前にあって、全く迷わずに来ることができます。子どもだけを対象にしたビルではなく、1,200人を収容する立派な「青山劇場」と最大370人の収容の「青山円形劇場」が併設されています。

 私もこの円形劇場で何かの芝居を見たことがありましたが、劇場の造りはなかなかに革新的で、中央の円形舞台を360度客席が囲むと言う完全な円形オープンスペースです。日本初の円形劇場だそうです。建物に向かって左側筒状の外観を持った部分の中にあります。「青山劇場」のほうは、歩道と同じレベルの前庭オープンスペースを行くと正面にしゃれた英文の「AOYAMA THEATRE」の看板が有り階段を数段下がって入り口があります。

 劇場のアプローチ部分は大きく解放されたパブリック・スペースを確保するために3,4階部分を浮かせ、ピロティーとしています。劇場を利用するお客さんにとっては雨に濡れることもなく出入りには好都合な計画になっていますね。通常の劇場には客席空間と出入り口の間にホワイエと呼ばれる緩衝空間を取って、開演前の人々の溜まり場として使われますが、この劇場ではこのピロティーを含め歩道からのアプローチ部分がその役を担っています。

 たまにこの建物の前を通りますが、上演を待ち遠しそうに開演前の楽しそうな親子連れや若い女性の姿を目にします。この劇場はオーケストラ・ピットまである本格的な劇場らしく、ミュージカルなどが多く上演されてるみたいですね。残念ながら私は入ったことはありません。

 この建物の特徴の一つは、開口部と言われる窓の部分に曲面を使っていることです。正面の3,4階部分は矩形の2層分の空間ですが、開口部だけを緩やかにS字にカーブさせています。このカーテンウォールの開口部は、正面と真反対の劇場側にもあります。もう一カ所、建物の西側(正面から見て左側)の立面も同じデザインで構成されています。

 この曲面が「こどもの城」としての建物の顔になっていますね。平面の冷たい印象を避け、柔らかな印象を与え、子どものための建物であることを表現しています。もう一つ、この建物に子どもをイメージさせるモノがあります。円形劇場を囲う筒状の外壁に、縄跳びをしている子どもを置いています。作者は福田繁雄のようです。「日本のエッシャー」と称された方で世界的なグラフィック・デザイナーですが。錯視やトリックを利用したアートにも造詣が深く楽しいアート作品を残した人です。平成21年(2009)に76歳で亡くなっています。

 西側の外部にはいくつかの面白い彫刻が配置されていますが、シンボルモニュメントとして正面に、言わずと知れた岡本太郎の「こどもの樹」があります。岡本らしい強烈なオーラが青山通りにまで流れ出してます。彼の自宅はここから歩いて10分ほどの所にあり、この「おもてサンド・たてもの観察ゼミ」でも取り上げています。

 建築的には、なかなかに面白い建物ではありますが、子供たちの遊びの内部空間は今ひとつなんじゃないの、との印象は免れません。内部は十数年前と全く変わっていませんし、管理運営にもう一工夫欲しい感じですね。せっかくのレストランも何故か現在(20123月時点)は閉鎖中でエントランスの内部は暗い感じです。私も何度か利用したレストランでしたが、金額的にはリーズナブルではありましたが、お味の方がね、チョット、でした。

 ここの事業主体は財団法人・児童育成協会で国立の総合施設としての位置づけになっています。「財団法人」とか「児童育成協会」とか建築の設計を業とするモノにはよくわかりませんが、要は民間の施設じゃない国の施設なんですね。政府の「事業仕分け」のまな板にものって、天下り人事にメスが入ったみたいですけど、国の施設としては随分と頑張っている方なのかもしれませんが、残念ながら、なんか雰囲気が垢抜けないのよね。

 せっかくの建物なんですから、もうチョッと子供たちの為の工夫を見せて頂きたいな〜、というのがモコモコ博士の印象、感想ですね。っと、忘れるところでした。この建物の6,7階に宿泊施設としてのホテルもあるんですよ。一泊¥5,00010,000.-で泊まれるみたいなんですけど、どんな人が利用しているんでしょうね。今回初めて知りましたけど、タワー棟(13階建て)の上層部は、大人の城だったりして。んなことないか。





2/23/2012

395 北河原温


395 北河原温




 今回も、表参道というところは正に建築の美術館の街だと言うことを実感しちゃう建物です。ご紹介するのは「395」と名付けられた建物です。設計したのは北河原温(きたがわら あつし)。はい、このサイトでは既に2度ご紹介している建築家ですね。#28メトロサと#31アルス ギャラリーの設計者です。

 他にこの近辺では、「宣伝会議本社ビル」やキラー通りをチョット入ったところに個人住宅兼オフィースの「サッフォー」と渋谷スペイン坂の上の映画館「ライズ」などの作品があります。そう、彼がやった建物は作品と呼ぶに相応しいものばかりです。表参道建築美術街に飾られる作品として「395」も異彩を放っています。

 青山通り、表参道の交差点から赤坂方向に進むと、直に歩行者用の信号があります。右側の敷地は大きく空いている駐車場ですが、その真ん中あたりに右に折れる小路があります。そこを道なりにほぼ直進すると右側に端座してます。見落とすことは、先ずありません。「GALLERY SHOREWOOD」の看板の向こう側に、っと〜の建物が出現します。

 北河原さんにしかできないコンポジションが惜しげもなく路上にこぼれています。こういう建物がこんな所にあっていいのか、と思うようなファサード(建築物の正面)であり、近隣の環境の中で際立っています。

 何枚かの平板に、円弧を描くつや消し濃紺の壁、不連続に折られた折版の銀の屏風。平板の仕上げは、真っ白なアルミパネル(たぶん)、御影石、コンクリートの打ち放し、と多彩を極め、そこに黒い鉄骨の軒と階段が奔放かつ緻密に配されています。建物左端には木板の壁、床には玉石するら敷かれ奥の和を演出する門扉に繋いでいます。こんなに多様な仕上げを使いダイナミックながらここまで整然とした構成は常人にはなし得ない、すげーなー、のファサードそのものであり驚愕の建築と言えます。ホント。品位、優雅を醸しながら、常ならぬ表情を見せるこんな建物、そうそうあるもんじゃないっしょ。

 建築のデザイン(設計)を業とする人には、構造重視の理工系の人、人々の繋がりを重視する社会学系の人、建築は美しくなければならないとの芸術系の人と様々ですが、北河原さんは芸術系の最先端を行く人と言えます。構造、設備、法規、社会や家政学をも踏まえ、美しい形を提案し続ける姿勢は立派なのです。

 建築は経済性を無視して作ることはできませんが、美しいモノには無限の価値が宿っているのです。全ての物事をお¥と言う単位でしか判断できないような人は貧しく、この建物を評価する目を持ち合わせないでしょう。経済性云々の次元を超えて、ダイナミズムと優雅を崇高に表現したファサードが圧巻です。

 この北河原温という人は、東京芸術大学建築科在学中に国際設計コンペで1位となった人です。超個性的な発想や独創的なデザインを実現できるお人ですね。日本建築学会賞、村野藤吾賞、グッドデザイン賞金賞、等々多数の建築賞を受賞した、聡明なる鬼才です。2009年には日本建築大賞、2010年には日本芸術院賞を受賞してますね。

 建築以外の分野では、世界的なオランダのモダンバレエ団(ネザーランド・ダンス・シアター、芸術監督イリ・キリアン)の舞台美術を手掛け、パリ・オペラ座やニューヨーク・リンカーンセンターで公演。2008年にリヨン国立歌劇場で再演。また、東京芸術大学の大学院建築専攻北川原研究室では、科学や音楽、新しい表現芸術などの分野の専門家と協力し、建築・都市・空間に関する様々な研究・創作活動を展開している。
(以上、ウィキペディアより引用)

 1985年に竣工しています。建物の構造は鉄筋コンクリート3階建てですね。以前は自信の設計事務所をここに構えていたようです。1階にはアートギャラリーが入り、2階はオフィース空間のようで、3階はビルオーナーの住まいみたいです。地階もあるようですが何に使ってるのかしら。1階ギャラリーから地階に下りる鉄骨階段が外からも見えますので、ギャラリーが使ってるのかしらね、入ったことはありません。

 経済状況厳しき日本の社会ではありますが、北河原さんに自分の建物を設計して欲しいと願う人は立派だと思います。建築のファサードは自らのモノであって、自らのモノではありません。近隣の環境を作り出すのは個々の建築です。人々が行き交う都市の環境の中に自らの建物のデザインを北河原温に委ねる卓然の気持ちがあってこそ、周りの環境の品格が向上します。

 表参道と言う街には、沢山の優れた建物が点在し、世界屈指の観光地として名を馳せています。表参道を代表する建物の一つとしてこの建物を見に行く価値は十分にあります。こういう建物が東京表参道にある限り日本はまだまだ安泰であると言えます。







この原稿は、下記の人気サイト「おもてサンド」の「たてもの観察ゼミ」に紹介されたモノで、私が写真を撮り、文章を書いたモノをベースにしています。





岡本太郎記念館 坂倉準三


岡本太郎記念館 坂倉準三




 爆発してた芸術家・岡本太郎の住まいとアトリエだった所です。現在は岡本太郎記念館となり喫茶スペースも完備する小さな私設美術館ですね。所在地は港区南青山6-1-19、ブルーノート東京のすぐそばにあります。

 喫茶のお店が入る向かって左側の建物は新たに増築されてまして、こちらは鉄骨の構造駆体に押出し成形セメント板を張ったような建物です。 外壁に大きく顔をモチーフにした作品が目立ってますので直ぐに判ります。右手側の昔からの住まいの方は、コンクリート・ブロックを使った鉄筋コンクリートの建物で、1953年に竣工してますので、既に60年近く使われている建物です。コンクリート・ブロック、ご存知ですよね、そう、住宅の塀などによく使われるブロックです。構造計算上はコンクリート壁構造としての扱いで、床などのスラブと呼ばれる水平部位は通常の鉄筋コンクリートになっているはずです。

 今の時代では、このコンクリート・ブロックを建物に使う事はたまにあります。壁のコンクリートを打設するときに型枠を必要としないというメリットは大きく、建設コストの低減に繋がります。実は、私はこの建物に触発されて、都内板橋区に同じような住宅を設計しています。鉄筋コンクリートの建物でありながら、チョッと高額な木造住宅並みの建設コストで建ちます。木造の構造駆体の寿命は30年ですが、こっちは倍の60年です。結果的には安価な構造駆体費用ではあります。

 この旧岡本太郎邸を設計したのは、恐れ多くも巨匠・坂倉準三です。半世紀以上も前に、このコンクリート・ブロックを使って岡本太郎の住まい兼アトリエを作ってしまったことに驚きを感じます。当時の常識では全く想像できない構法であったはずですし、住空間の仕上げ材としても、当時の人は躊躇し思いもよらなかった素材の提案だったはずです。それを由とした岡本太郎の太っ腹も立派なのです。後世に残る建築は斬新なアイデアを持ち込める建築家とそのアイデアを許容できる建て主とが相まってできるモノであることをこの建物は証明しています。

 戦前のパリ、ソルボンヌ大学にいてピカソに衝撃を受けた岡本太郎とパリ工科大学で建築を学びフランスのコルビジェに師事した坂倉準三の2人は、この住まいの計画案を挟んでどんな話をしたのでしょう。当時、坂倉52才、岡本42才の二人の男が面白がって造った岡本太郎の生活と仕事の場です。

 昔、EXPO'70大阪万博と言うのがあって、そこに「太陽の塔」と呼ばれる巨大なモニュメントを作ったのが岡本太郎ですが、万博開催期間中この塔の目玉のあたりに立てこもった輩がいて、大騒ぎになった事がありました。その時、岡本太郎は「イカスねぇ。ダンスでも踊ったらよかろうに。自分の作品がこういう形で汚されてもかまわない。聖なるものは、常に汚されるという前提をもっているからね(以上、ウィキペディア/岡本太郎)」と言い放ち、若き革命的建築学徒だった私を喜ばせました。さすが岡本太郎との印象を持ったのです。

 同じような事が今年(2011年)5月に起こりました。渋谷のJRと井の頭線を結ぶ連絡通路に飾られている巨大壁画「明日の神話」の右下隅に何者かが3.11の地震津波による福島第一原発事故を思わせる絵を付け加えた事件です。多くのマスメディアは悪質なイタズラと評しましたが、私はこのイタズラを評価します。岡本太郎記念館の館長のコメントも「太郎が生きていても、別に怒らなかったと思いますよ。『ふーん』というだけでしょう」でした。悪質なことは一切ありません。むしろ岡本太郎の壁画をリスペクトさえしているように思います。

 世の中に、ストリート・アーティストと呼ばれる人がいますが、彼らはアートを通して社会に強烈な問題提起を行っています。アメリカのBanksyやフランスのZevsなどが著名ですが、かつての岡本太郎も爆発のアートでもって多くの問題提起をした人です。その彼の爆発を作り出していた拠点がこの建物です。20世紀を代表する日本の芸術家として、84歳で亡くなるまで、彼の仕事場兼住いとして、この住居は彼の活動を支えてきたのです。言わば、この家は岡本太郎の起爆剤、導火線です。

 その起爆・導火線を設計した坂倉準三という建築家も凄い人なのです。建築界の世界3大巨匠の一人、フランスのル・コルビュジェに師事し、日本国内に多くの作品を残し、自分亡き後も坂倉建築研究所が彼の偉功を継いでいます。このサイトで「ビラ・モデルナ」を紹介していますが、どの作品を見ても建築に対する真摯な姿勢が見て取れます。常に建築の設計を学ぶ若い学生諸君の師であり、尊敬に値する建築家なのです。

 岡本太郎記念館の開館時間は、10:0018:00(入館は17:30まで)。火曜日が休館(祝日の場合は開館)で、観覧料は一般 600円となっています。かつて表参道にいた2人の巨匠の爆発現場を見に行ってみましょう。






この原稿は、下記の人気サイト「おもてサンド」の「たてもの観察ゼミ」に紹介されたモノで、私が写真を撮り、文章を書いたモノをベースにしています。



11/29/2011

STRADA 團紀彦


STRADA  By  團紀彦



 表参道の交差点から直ぐの所に建っているが、青山通りや参道からは全く見えない。交差点の交番横の細い路地、山陽堂書店の裏の小路を入ってチョトと行くと左側にあります。このページの第26回で紹介した「 LEMON TREE 表参道ビル」のちょうど真裏ですね。せっかくのビルで人目に触れることが少なく残念な気がしないでもないんですが、実は見えない方が、・・・・です。

 同じく第18回で紹介した「HOLON L/Rビル」の設計者と同じ、團紀彦さんが設計した建物で、團紀彦さんについては、第18回に詳しいのでそちらを見ていただければ、華麗な略歴であることが分かります。へ〜、こういう建築家なんだ、みたいな印象を持って読めるかと思いますので、是非。地下鉄の交番裏、A-3の出口を出て1分とかからない場所ですので、是非行って見てください。

 さて、STRADAと名付けられた2つのビルでありながら1つとして計画されています。このSTRADAの意味が英語の辞書にはなく、イタリア語で「道」という意味らしいのですが、どうなんでしょう。

 正面に向かって左側のビルは専門学校の「青山ファッションカレッジ」が入っています。休憩時間にぶつかると、実にファッショナブルな生徒たちがぞろぞろと外に出てきて、彼ら、彼女らのファッションを見るだけでも楽しめます。私のようなハゲのオッさんにはマネのできないファッションを実に上手く着こなし、流石にファッションカレッジの生徒さんなのです。

 向かって右側のビルには、地下に焼き肉のお店、1階にはメイク関連なのかしらね、美容ディーラーと称する会社が入ってます。「美容商材の販売から、イベントやセミナーの開催、情報誌の発刊、スタジオ運営、コンサルティングに至るまで、美容業界の発展に貢献するべく邁進しております」とネットにある会社です。多分2階もこの会社がお使いで、その上3階には、美容外科・美容皮膚科・アンチエイジングなどを専門とするクリニックが入ってますね。地下の焼き肉屋さん以外は、理容、美容、服飾関連の方々が使っているビルで、お洒落に関連するものばかりで、さすが表参道って感じではあります。そして建物もお洒落なんですよ。

 何と言っても華麗なる一族出身の團さんの設計ですから、少々メンテナンスが不足かなとも思えますが、ハイソな感じを受けます。竣工は1991年ですから既に築20年を超えていますね。外壁の腰の部分には蛇紋(じゃもん)系の大理石や御影石が貼られてますし、見上げれば幕板のごとくに帯状に蛇紋が配されています。一部コンクリートの打ち放しが見えますが、型枠に木板を使い、コンクリートの表面にその木板の跡形が出るよう意識した凝った物です。加えて、表面が錆色になっているコールテン鋼と言われる耐候性のある鋼材の板を素材のまま使ってます。一見粗雑に見せている表面と、吹き付け材と大理石の幕板できれいに仕上げた外壁とを対比させ、双方がそれぞれに表層を主張して面白い外壁を見せています。

 そして、注目すべきは中庭です。この2棟の建物は隣接する2つの敷地に建っている全く別の建物です。その全く別の建物をこの中庭が繫いでいます。敷地境界を跨いで1つの建物が物理的に繋がる以上に、見事に一体化させています。残念なことに学校の許可を得ないとこの中庭には入れませんが、外からでも十分に見渡すことはできます。決して大きくはないのですが、敷地境界を跨いで円形のオープンなスペースを作っています。ルネ・マグリットやジョルジョ・デ・キリコを思わせるような幻想の空気を包み込んでいるような気がしちゃうんですよね。

 チョイと思い過ごしかも知れませんが、シュールな空気を感じます。「街の神秘と憂鬱」というキリコの絵、ご存じないかしら。あの絵の中にある空気感みたいなものがここにはあるのよ。ない? 考えすぎ? そう? じゃーアナタ、見てきてちょうだいませよ。

 こういう空気感を持つ建築って、なかなかないんですから。小さな中庭ですけど、表参道の喧噪から1分と離れていない所にあることが凄く不思議なのよね。敷地も決して大きくなく、中庭も狭い場所ではあるんですけど、團紀彦が何かを意図して作り出した、何もない物で満たされている不思議な空間なのよね。團さんはここに何を表現したかったのか、哲学的に考えてもイイかもしれないような空間なんですよ。この空間がなければ私はこのページにご紹介はしませんでしたね。

 要するに、表参道という現実からチョット隠れた敷地に、見慣れた都市風景から乖離した場所で、現実にはあっちゃいけないような非現実的な空間があるってことなんですのよ。絵画などでは幻想絵画とかシュールレアリズムとか言われる、額の中の、2次元の世界にはあるんですけど、建築としての3次元の世界にあってもいいのかしら的な何か、夢想的と言うか、実はないのに、ここにあるような、え、ウソ、の小さな幻想空間なんですよ。

 誰しも心の中に潜在しているトラウマや悪夢、病的な妙なイメージを内包しているような中庭。宗教的な啓示や神話や民話の世界の、精霊や妖精なんかが浮遊してるように感じません? 超現実の世界が中庭に淀んでいるようなさ。瀧口修造って言う詩人がいるけど、その詩の世界みたいな、音楽で言えば武満徹の音楽みたいな、世界なのよ。チョイと支離滅裂かも知れないけど、そんな空気を私は感じちゃったんでございますよ。

 是非、一度、山陽堂書店裏の小路を入って見てください。






この原稿は、下記の人気サイト「おもてサンド」の「たてもの観察ゼミ」に紹介されたモノで、私が写真を撮り、文章を書いたモノをベースにしています。




11/23/2011

アルス ギャラリー  北河原温


アルス ギャラリー  北河原温




 表参道の通りからキャット・ストリートを渋谷方面に向かい、最初の十字路を左に、スターバックスの店を右に見て、もう少し道なりに右の方に進むと、直ぐに白い4階建ての建物が目に入ります。表参道界隈の路地裏、住宅地の一角に「白」が饒舌に建っています。

 白という色は、もの凄く派手な色だと思ってます。男は、真っ白なスーツに袖を通すことは一生涯、多分、ないんじゃないかしら。女性にはウエディング・ドレスがあります。晴れの場での最高の衣装の色として白が準備されています。ドクターが着用する白衣や、調理人、運動着、下着などは汚れを目立たせる白が基調になっています。サラリーマンのワイシャツもそうです(ワイシャツとはwhite shirtからきてますね)。しかし、作業着としての実利的な白ではなく、おしゃれ着として「白」は着こなしが難しい色です。

 建築も同じで、この真っ白な建物は決して寡黙な建物ではありません。小さな建物であっても声高に白を主張してます。竣工したのは2002年ですからそろそろ10年が経ちます。鉄筋コンクリートの建物で、角地2面、道路側の一部には、ビニールコーティングの布張りの屋根と壁が取り付いています。

 10年近く経つと少々汚れが出て、真っ白と言うわけには行きませんが、まだ白を保っています。左側の小路側にある部分は、地下ギャラリーへの明かり取りのためです。正面のギャラリーを中に入ると、左奥に地下に降りる階段室があります。そこを北側の優しい光が布を通して入り、地下の小さなギャラリーへ柔らかで心地よい光を提供しています。正面道路側に張り出している所は、アートスクールの出入り口で、こちらも地下の陶芸教室に降りる階段室と受付空間の明かり取りとなっています。

 そう、この建物はアートを扱う建物です。アート・ギャラリーと共に、アート教室(彫金、陶芸、花など)とアトリエを兼ね備え、上層部階にはオーナーの住宅があるようです。設計したのは、このサイト第28回・メトロサでご紹介した北河原温(きたがわら あつし)です。知的に飛んでるデザインが、北河原温の建築で、表参道界隈に林立する他の建物を凌駕する高度なデザイン性を惜しげもなく主張してます。尊敬すべき建築家で、私・モコモコ博士とはチョイと違うんでございますね。

 受付にいらした方のご好意で、ギャラリーや工房をお見せいただきましたが、インテリアも白です。地下はスキップフロアー的な空間構成で、陶芸の教室として、こんなにきれいで楽しげな空間は始めてみました。地下へ降りる階段の踏面(ふみずら)にガラスを使い、階段自体も鉄骨を大胆に使った構造で、地下深くまで外の光が差し込む工夫があり、暖かな気持ちでアートを学べる空間を作り出しています。1階を含め、地下空間の間仕切りには大型のガラスの間仕切りがあり、それも枠ナシで取り付き、背の高い大胆な建具(引き戸)が秀逸です。

 教室に通う為のパンフレットを頂きに、右側のドアから中に入ると、左側に受付のテーブルがあり、その奥がお花の教室です。この教室と廊下を隔てる界壁が、厚さ10ミリを超える大きなガラスになっています。床から天井まで一枚のガラスで間仕切っていますが、ここに「枠」がないんです。通常は枠を付けてその中にガラスをはめ込むものなんですが、あえて枠ナシで床と天井に、埋め込み用の溝を付け、直接ガラス板を固定しています。間仕切りの役も担っている建具も同じように枠がありません。

 実は、地下にも何枚かのガラスの間仕切りがありますが、全て、建具と共に、そうなっています。余計な線が視覚からなくなり、単純で明快、品位の高いインテリアを作り出しています。これは、一般の人には気付かない、理解しがたい高度な設計であり、注意深い施工性が要求される計画です。

 建物全体の印象やインテリアの印象は、それぞれのディテールの積み重ねから生まれます。「この空間は、何だか判らないけど洗練されている」と感じるインテリアには、必ず何らかの秘密が隠されていますが、ここは間仕切りと建具にもその辺の秘密があるのです。

 地下空間に採光する為には、普通はライト・ウェル(光の井戸)と呼ばれる穴を建物に反って掘り、地下の外壁にあたる部分に開口を設け外部から採光する方法が取られますが、ここはそのライト・ウェルを白色の布で覆い内部空間とし、階段室を計画してあります。北河原温ならではの大胆がここにあり、防火上の問題をどうクリアーしているのか疑問ではありますが、スゲーなーと思わせる部分ではあるのです。

 彫金や陶芸、お花の教室がこんな所にあるなんて全く知らないでいましたが、この建物の中でお教えいただけるのであれば、是非私も、なんて思っちゃいますね。頂いたパンフレットを見ると、それぞれにビギナー・コースなどもあるし、講師陣は北河原さんが教授を努める東京芸大出身の方々で、格調高そうです。

 ギャラリー部分は一般に公開してます。スターバックスに行ったときには、直ぐそばですので、一度、足を運んで北河原温の建築空間に身を置く事をお薦めします。建築の面白さ、奥の深さ、北河原さんの深遠なる意匠を感じることができます。是非、行ってみましょう。









この原稿は、下記の人気サイト「おもてサンド」の「たてもの観察ゼミ」に紹介されたモノで、私が写真を撮り、文章を書いたモノをベースにしています。


9/18/2011

スカイゲート 椎名英三


スカイゲート 



 チャリツー(自転車通勤)始めて早6年目の私・モコモコ博士でございますが、毎日、朝晩このビルの角を曲がってるのよ。いつも気になっているビルで、調べてみたら、私の出た学校(日大理工建築)の先輩、椎名英三の設計でした。日大の建築つう所は、意匠系の著名人が少なく、構造で売ってるようなところがあるのね。「構造の日大、意匠の早稲田、両方いい東大」なんて昔は言われてましたから。そんな中で、貴重な意匠系の椎名さんです。意匠って日本語で言うデザインの事ね。

 見ての通り、赤の階段がチャーミングで、このビルを主張してますね。この唐突な違和感が素敵で、ついつい見上げちゃうビルです。ビル名は外部階段の入り口部分、黒の御影石に「HOUSE ONE」とあるのよね。「建築MAP東京」(TOTO出版)には「スカイゲート」とあったんですけど、「HOUSE ONE」なのか「スカイゲート」なのか、どっちが正解なんでしょうね。基本的な構造は鉄筋コンクリート造で、打ち放しの仕上げを採用し、上の赤の階段は鉄骨で造ってます。建ってる場所は、青山通りの「子供の城」に向かって左側、細い道を明治通りに向かい、下り坂の途中、左側にあります。角地に建ってて、赤い階段が目印です。

 その赤い階段を上って行く4階と5階部分は、住宅のようですね。地下もあるみたいですが1〜3階まではオフィース空間になっているようです。住んでいる人にしてみれば、打ち放しのパブリックな階段を上がって、赤くなったところから自分の住まいを無意識に認識させるような工夫で、暗に自分のテリトリーが確認できて、アプローチとしては上手い方法といえます。

 単純明快なオフィース部分の外観デザインに対して、上部の住居部分は、何やら複雑にできてます。鉄骨やアルミの骨組みにガラスを使って軒や庇を付けてますね。屋上部分には半円形のガラスドームまであって、どんなインテリアなのか気になります。ネットを含めたメディアでの紹介は殆どなく、想像するしかないのですが、このビルのタイトルが「スカイゲート」ともありましたが、5階の居室が空に向かって開かれ、天空の門となっているのかしらね。是非、一度お邪魔したい所ですが、夏、熱くないかしら、どうなってるんだろう。(椎名さんのホームページに「Sky Gate 1990」として、Architecture 2のページに紹介されてます。スゲー事になってます)。

 夏、暑いと言えば、この打ち放しコンクリートは概して夏は暑いっすね。当然、冬は寒いってことになります。と言うのは、今、人気の外断熱はこの打ち放しには成立しないので、外部の温度がそのまま建物の構造駆体を暖めたり冷ましたりします。内断熱をきちんとしておかないと、内部にいると夏はムッとするし、冬は底冷えします。冷暖房コストが上がっちゃうってことです。

 安藤忠雄という今人気の建築家がいますが、彼が好んで使う意匠が打ち放しです。インテリアにもそのまま打ち放しの壁を使ったりすれば、内断熱もないことになりますから、冬などは建物全体がキンキンに冷えて中にいる人間の骨まで冷えそうな感じがしますね。
注意しないと、冬には結露が発生したりすることもありますね。

 それでも打ち放しの質感が好きな人は採用するわけです。「なによ、あれ、未だ工事中みたいな感じで、アタシはきらい」という人も多いわけで、建築家の多くは好きなんですが、万人受けする仕上げではないとも言えます。打ち放しは、木造建築で素地のモノを好む日本人特有の嗜好で欧米では殆どない仕上げですね。

 決して安い仕上げではないんです。中に入っている鉄筋を保護するためもあって、30ミリほど余分にコンクリートの打ち増しが必要ですし、使う型枠も新品を1回のみで、もの凄い神経を使っての型枠工事があってコンクリートを打設します。打ち放しには防水効果はありませんので、表面には撥水材と呼ばれる塗料が塗られ、雨にさらされても濡れ色が出ない工夫が施されています。タイル貼っちゃった方が建設コストとしては安い場合が多いですね。

 話は横道にそれちゃいましたが、この「スカイゲート?House One」には、きちんと内断熱はなされている筈です。外観を見ても、実に細かな配慮があちこちにあり、施工も非常に丁寧です。階段の手摺りなどは特注品と思われますし、何故か、階段を支える打ち放しの壁に、縦に細長くアナが開いてたり、地下から立ち上がる御影石の小壁には丸い小さな穴が4つ、3ヶ所にあります。1階の出入り口ドアの横に大きく縦長のスリットも3本入り、来訪者を部屋内部から確認できる工夫も美しく、さりげなく計画されています。

 何と言っても秀逸なのは、コンクリートの打設の美しさです。補修塗料を使っている跡は見えるのですが、素人さんには判らないもので、壁や階段の段裏、床スラブの裏側など打ち放し部分の美しさは立派です。大胆且つ繊細に設計・監理されているビルで、なかなかここまでできるのもではありません。日大の意匠もなかなかに立派なのです。


 ついでながら、最後にもう一つ、直ぐ左隣に建つ「銀杏荘」。この建物も違った意味で面白く、いいんですよ。昭和20年代に建った建物で、宿泊施設です。数年前(2006年)に閉館してますが、この辺で¥4,000以下で泊まれる所って、ここしかなかったんですから。なんと、運営してたのは東京大学だったようです。だから名前が校章にもある銀杏(いちょう)なんですね、きっと。地下1階・地上3階で、客室は21室。会議室や談話室、宴会場などがあって、一般にも開放されてました。文科省共済組合が建物の老朽が主な原因として、閉鎖をきめたんだそうです。
 基壇状の御影石と使ってる外壁タイルが何とも郷愁をそそり、各階に回っている白い鉄パイプの手摺りが昭和の時代を感じさせてくれます。ついでに見てちょうだい。








この原稿は、下記の人気サイト「おもてサンド」の「たてもの観察ゼミ」に紹介されたモノで、私が写真を撮り、文章を書いたモノをベースにしています。









8/11/2011

青学・間島記念館 清水組


青学の間島記念館


 今回ご紹介するのは青山学院大学の敷地に建つ間島記念館です。表参道に建つ最古の建物はこれだ!の間島記念館です。段、CHANELDiorVUITTONARMANI、等々のビルをご紹介してますが、たまにはアカデミックな環境に身を置くのもいいもんです。珠玉の近代建築です。

 1929年・昭和4年に竣工した間島記念館。青山学院大学のキャンパス、正門を入って並木道の一番奥に鎮座しているが、この表参道界隈の最古参の建物です。82年前に建ってますから、多分最古参です、多分ね、古いですよ。未だに現役として立派に使われている建物です。竣工当初は図書館だったんですけど、今も図書館として使われているのかしら?

 ペディメントとよばれる切り妻があって、ギリシャ・ローマの神殿のごとくコーニス(屋根の下にある水平材)にも歯形飾りがあるんですよ。列柱があって、柱頭はコリント式といわれる最も派手派手しいゴージャスな柱頭です。正面入口はアーチを配した基壇になっていて、その上に浮かせてのエンタシス(中央部が太い)の列柱です。

 似たような形の校舎は米国の大学に多く、古代ギリシアローマ建築のオーダーを学問の象徴として使うと、なんとなく学問に威厳が出てくるじゃないの。でね、昔から学校建築には好まれたクラシックな佇まいなんですね。名前の由来は、これも米国に多い、寄贈した提供者の名前が付けられてますね。

 回りの木々に癒やされながら建物の前に建つと、落ち着いて勉強する気になったりするんですよ。ホンの数十メートルしか入ってきてないのに、青山通りの喧噪がウソみたいな環境がここにはあって、青学の学生さんは幸せですね。本やノート片手に歩いてるおネーちゃんたちはミニや短パン姿の美人ばっかりだし、私、青学、大好き。モコモコ博士として青学の教授になりたい。

 この古き図書館の左横には、同じく古い建物が建ってます。ベリーホールと呼ばれる、以前は神学部の校舎として使われていた現在の本部棟です。そう青学はミッション系の学校で、以前は神学部なんていう学部があったんですね。昔の学部長の名前がそのまま建物の名前になっています。ベリー先生なんつー人がいたんですね。建物の前にレリーフ像がありますので、ご挨拶してください。

 英語で授業してたのかしらね。ミッション系の大学はどこも英語の偏差値は高いようだけど、そう言うことが尾を引いてるんですね。キャンパスを歩く学生さんたちは、みんな英語しゃべれるのかしら。この建物が竣工したのは、間島記念館の2年後、1931年(昭和6年)で、築80年です。意匠としてはゴシック風ですね。建物上部に霧除けがありますけど、一部壊れてて、長きの風雪も感じますね。頑張れ!ベリーホール。

 この2つの建物、両方共に石造りのように見えますが、実は「洗い出し」と言われる仕上げです。鉄筋コンクリートの構造駆体の骨組みに左官屋さんが、モルタルに細かな大理石チップを混ぜ込んで、大小様々な金ゴテで塗り込むんです。形ができて、完全に乾く前にブラシに水を含ませて洗い落とすんですよ。実に細かなところもその方法で仕上げています。手摺りのひょうたん型の「手摺り子(短い柱のようなもの)」や柱頭のゴージャスなコリントも同じです。平面だけでなく曲面や装飾に至るまで、洗い出しです。

 そう、凄いんですよ、日本の左官職人の腕は。この建物ですと、間違いなく明治生まれの頑固な職人が、寄ってたかって造り上げてますね。今の建物でここまでヤル建物はありません。表参道には有名著名な建物が沢山ありますが、外壁にここまで時間と労力を注ぎ込んだ建物はないんです。そんなこともあって文化庁の登録有形文化財に指定されてます。

 この青学にあって、外の表参道にないもが他にもあります。「表参道ランチ」¥400がそれです。この学食での¥400は、チョー高級ランチです。スパゲティーや麺類は、信じられないようなお値段でございます。学食だけに量は多いし、味を云々するような値段じゃないっす。やたらに奥行きのある長く大きなダイニングには、若く美しい才女がゴチャマンと大口開けて昼食をほおばっております。共学ですから男もいますが、目立ちません。

 表参道にお越しのアナタ、是非、青学に立ち寄りましょう。正門前には警備員の厳ついオッさんが立ってますが、軽く会釈して通過しましょう。何か言われたら「キャンパス内の間島記念館だけ見学させてください」と言えば笑顔で通してくれます。私のように、でかいカメラなんか持って入ろうとすると、止められ、許可を得ないと入れてくれません。学校当局も大きい声では言いませんが、常にオープン・キャンパスです。青学に感謝の気持ちを持って「表参道ランチ」を食べに行きましょう。建物?その後でいいっす。

 正門は入って直ぐ左の地下です。「Restaurant」の看板があります。自販機で食券買ってセルフ・サービスで、誰も怪訝な目では見ないっす。厨房の中のおばちゃんも優しい。オジサンは「オレは新人の教授だ」の構えがいいっす。裏の方に教職員の食堂もありますが、行く必要ないっす。



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この原稿は、下記の人気サイト「おもてサンド」の「たてもの観察ゼミ」に紹介されたモノで、私が写真を撮り、文章を書いたモノをベースにしています。